判断はなぜそこで止まったのか
情報は揃っていた。関係する人も、それぞれに誠実だった。通信も生きていた。それでも、その場で判断は出なかった。
誰かが怠けていたわけではない。
準備が不足していたとも言い切れない。
むしろ、個々の努力や能力だけを見れば、十分すぎるほどだった。
それなのに、時間だけが過ぎていった。
何が足らなかったのかは、すぐには分からない
こうした場面に直面すると、私たちは自然に理由を探そうとする。
判断する人の経験が足りなかったのか。
情報がまだ不十分だったのか。
権限が曖昧だったのか。
どれも、もっともらしい。
しかし、どれも決定的ではない。
同じような状況で、判断が即座に下されることもある。
逆に、条件が整っているはずなのに、なぜか止まることもある。
そこに、説明しきれない違和感が残る。
能力の問題だ、と言ってしまえば簡単だが
判断が止まった理由を「能力」の問題として整理することは、簡単だ。
経験が不足していた。
判断力が足りなかった。
覚悟が足りなかった。
確かに、そういう場面もある。
能力は、判断に影響する。
ただ、それだけで説明しきれない場面が、あまりにも多い。
能力のある人間が集まっても、判断が出ないことはある。
一方で、条件が整っていなくても、判断が動く場面もある。
能力は重要だが、十分条件ではない。
判断は、個人の中だけで完結していない
判断は、個人の頭の中だけで生まれるものではない。
その周囲には、常に何かが存在している。
どの情報が、どの順番で目に入るのか。
その判断の結果、誰が責任を負うのか。
どこまで決めてよく、どこから先は越えてはいけないのか。
時間は、どれだけ残されているのか。
これらはすべて、判断の「外側」にある。
しかし、判断の可否を大きく左右している。
判断は、構造の中で行われている。
通信が生きていても、判断が動かないことがある
通信が遮断されていたわけではない。
帯域が不足していたわけでもない。
必要な情報は、届いていた。
それでも、意思は揃わなかった。
これは、通信の問題ではない。
少なくとも、通信“だけ”の問題ではない。
情報は届いている。
だが、その情報が、どのような意味として受け取られたのかは分からない。
同じ言葉でも、
同じ図でも、
同じ数値でも、
人によって前提は異なる。
通信が成立しても、意味が揃うとは限らない。
問題は、要素ではなく「つなぎ目」にあるのかもしれない
人と人の間。
組織と制度の間。
情報と意味の間。
判断が止まる場面を振り返ると、
問題はどれか一つの要素ではなく、その「つなぎ目」にあるように見える。
誰も間違っていない。
しかし、誰も前に進めない。
その状態自体が、すでに何かを示しているのではないか。
もし、そこを狙われているとしたら
もし、判断が止まる構造そのものが、意図的に利用されているとしたらどうだろう。
通信を切る必要はない。
システムを破壊する必要もない。
判断が生まれる前提を、少しずつずらすだけでよい。
何を信じてよいか分からなくする。
誰が決めるべきかを曖昧にする。
決める理由と、決めない理由の重さを反転させる。
その結果として、判断が止まる。
あなたの現場では、どこで判断が止まるだろうか
これは、特定の組織や場面の話ではない。
あなたの現場では、
判断はどこで止まるだろうか。
能力の問題だと説明して、
本当に見落としているものはないだろうか。
判断は、能力の問題として説明できることもある。
しかし、そう説明してしまった瞬間に、
見えなくなるものもある。
その見えなくなった部分に、
本当に向き合う必要はないのだろうか。