誰が決める人なのか、分からなくなるとき
状況は切迫していた。
判断が必要なのは、誰の目にも明らかだった。
しかし、その場には奇妙な静けさがあった。
誰も反対していない。
誰も異論を唱えていない。
それでも、「決めます」という言葉は出てこない。
視線が交錯し、
「もう少し確認します」という言葉だけが残る。
責任から逃げているわけではない
こうした場面を、
責任回避だと片付けるのは簡単だ。
しかし、多くの場合、それは正確ではない。
当事者は真剣だ。
むしろ、強い責任感を持っている。
だからこそ、
不完全な前提のまま決めることに、強い躊躇を覚える。
制度の上では、決める人は決まっている
自衛隊であれば、指揮官がいる。
企業であれば、責任者や決裁者がいる。
名目上の決定権は、はっきりしている。
それでも、
その人が「決められない人」になる瞬間がある。
制度があることと、
決断が可能であることは、同じではない。
決定権があっても、決められない瞬間
情報は多い。
しかし、どれが前提で、どれが補足なのか分からない。
意味は共有された「はず」だが、
本当に揃っているのか確信が持てない。
判断の影響範囲は広く、
一度決めれば後戻りできない感覚が強い。
このとき、
決断は個人の能力の問題ではなくなる。
決断とは、正解を選ぶことではない
決断は、正解を当てる行為ではない。
不完全な前提を引き受け、
その結果に伴う不確実性を背負う行為だ。
結果だけでなく、
誤解される可能性や、
後から批判される可能性も含めて引き受ける。
だからこそ、
決断には構造的な支えが必要になる。
誰も間違っていないのに、誰も決めていない状態
関係者全員が慎重で、
調整も尽くしている。
それでも、
最終的な判断が出ない状態が生まれる。
この状態では、
「決めないこと」が最も安全な選択になる。
結果として、
機会は静かに失われていく。
外から見ると、そこは「空白」に見える
内部では、議論が続いている。
検討も進んでいる。
しかし外部から見ると、
そこには「空白」があるように見える。
動いていない。
決まっていない。
その空白は、
誰かに攻撃される必要すらない。
ただ、利用されるだけでよい。
あなたの現場では、誰が決める人だろうか
あなたの現場では、
誰が実際に決めているだろうか。
肩書や役職ではなく、
現実に「決めることができている人」は誰だろうか。
そして、その人は、
決められる構造の中に置かれているだろうか。
決断できない理由は、
個人の弱さでは説明できないことがある。
決める人がいないのではない。
決められる構造が、
いつの間にか失われているだけかもしれない。
その構造は、いつ、どこで、
どのように変わってしまったのだろうか。