認知戦とは何か――情報戦・心理戦を超えて「意思決定」をめぐる戦いへ
認知戦とは、単に偽情報を流すことでも、敵の心理を揺さぶることでもない。より本質的には、個人・組織・社会が「何を事実と見なし、何に不安を覚え、誰を信頼し、どのように意思決定するか」をめぐる戦いである。
従来の情報戦が「情報の取得・防護・操作・伝達」を中心に考えてきたのに対し、認知戦はその先にある「人間の認知、感情、意味づけ、判断、行動」を直接の競争領域として捉える。したがって、認知戦はサイバー戦、情報戦、心理戦、戦略コミュニケーション、作戦保全、情報保全、世論形成、ナラティブ形成が重なり合う領域に位置する。
認知戦の基本定義
本稿では、認知戦を次のように定義する。
認知戦とは、対象となる個人・組織・社会の状況認識、意味づけ、信頼、感情、集団アイデンティティ、意思決定過程に作用し、戦略・作戦・政策上の効果を得ようとする活動である。
NATO Allied Command Transformationは、認知戦について「脳は認知優越をめぐる戦いにおける目標であり、武器でもある」と説明している。また、認知戦は単なる戦いの手段ではなく、「戦いそのもの」として位置づけられている。ここでいう認知優越とは、相手よりも正確に認識し、速く判断し、相手の判断を乱し、自らの意思決定を守る能力と理解できる。[1]
日本の防衛省も、「認知領域を含む情報戦」への対応を重視している。防衛省は、他国による偽情報の拡散などを通じた情報戦に対し、真偽や意図を見極め、適切な情報発信を行う必要があるとしている。一方で、日本として世論操作や偽情報の拡散を行うものではないとも明記している。[2]
認知戦の特徴
認知戦の特徴は、情報そのものではなく、情報を受け取った人間や組織の判断過程に焦点を当てる点にある。
| 観点 | 認知戦の特徴 | 実務上の意味 |
|---|---|---|
| 攻撃対象 | 情報システムだけでなく、人間・組織・社会の認知 | 指揮統制、政策判断、世論、部隊士気、同盟信頼が対象となる |
| 狙う効果 | 誤認、不信、分断、萎縮、意思決定遅延 | 「間違わせる」だけでなく「決められなくする」 |
| 時間軸 | 平時・グレーゾーン・危機・有事をまたぐ | 開戦前から作戦環境が形成される |
| 使用情報 | 虚偽、半真実、切り取り、文脈操作、真実の意図的配置 | ファクトチェックだけでは不十分 |
| 主要手段 | SNS、AI、ボット、ディープフェイク、OSINT、SOCMINT、心理戦、戦略広報 | 単一部署ではなく統合的対処が必要 |
| 評価軸 | 到達数ではなく、認知・感情・行動・意思決定への影響 | 閲覧数や拡散数だけでは効果を測れない |
認知戦では、情報が「真実か虚偽か」だけでなく、その情報がどの感情と結びつき、どの集団アイデンティティを刺激し、どの意思決定を遅らせ、どの信頼関係を破壊するかが重要になる。
情報戦・心理戦との違い
認知戦は、情報戦や心理戦と重なるが、同一ではない。
| 概念 | 主対象 | 目的 | 認知戦との関係 |
|---|---|---|---|
| 情報戦 | 情報、情報システム、情報環境 | 情報優越、情報機能の妨害・防護 | 認知戦の基盤または手段となる |
| 情報作戦 | 情報活動の統合 | 指揮官目的に資する認知効果の創出 | 認知戦を作戦として扱う幕僚機能に近い |
| 心理戦 | 特定対象集団の心理・態度・行動 | 士気低下、投降促進、支持獲得 | 認知戦の一部を構成する |
| 戦略コミュニケーション | 国内外の対象者、同盟国、国民、敵対勢力 | 正当性、抑止、信頼、理解の形成 | 防御的・正当な認知効果形成の中核 |
| サイバー戦 | ネットワーク、システム、データ | 侵入、妨害、窃取、改変 | 認知戦の拡散・偽装・増幅手段となる |
| 認知戦 | 人間・組織・社会の認知 | 意味づけ、信頼、感情、意思決定を変える | 上記を横断する認知効果中心の競争 |
NATOの情報作戦ドクトリンであるAJP-10.1は、Info Opsを、戦略コミュニケーションの方向性の下で、情報活動を横断的に統合し、認知効果を得るための幕僚機能として説明している。[3] この整理から見れば、情報作戦は「認知効果を作るための作戦機能」であり、認知戦はその効果をめぐる競争全体と理解できる。
歴史的経緯
認知戦は、突然現れた新概念ではない。古典的な欺瞞、士気低下工作、プロパガンダ、心理戦、冷戦期の影響工作、情報作戦、サイバー作戦が、SNS、AI、ビッグデータ、合成メディアと結びついて拡張されたものである。
| 時期 | 主な形態 | 特徴 |
|---|---|---|
| 古典期 | 欺瞞、流言、士気低下、謀略 | 敵の判断・士気・同盟関係を揺さぶる |
| 第一次・第二次世界大戦 | 国家プロパガンダ、ラジオ、映画、ポスター | 大衆社会に対する組織的宣伝 |
| 冷戦期 | 心理戦、Active Measures、フロント組織、秘密影響工作 | 体制競争、世論誘導、政治工作が中心 |
| 1990年代〜2000年代 | 情報作戦、戦略コミュニケーション、サイバー作戦 | 軍事作戦と情報環境の統合 |
| 2010年代 | SNS、トロール、ボット、選挙干渉、ハイブリッド戦 | 低コスト・高速・越境型の影響工作 |
| 2020年代 | 生成AI、ディープフェイク、マイクロターゲティング | 個別最適化、大量生成、自動化、リアルタイム評価 |
ロシアの情報工作について、RANDは「Firehose of Falsehood」というモデルで説明している。これは、多数のチャネルを使い、高速・反復的に、真偽や整合性にこだわらず、部分的真実と虚偽を大量に流し込む手法である。目的は、相手を説得することだけではなく、混乱させ、疲弊させ、何を信じればよいか分からない状態にすることにある。[4]
中国については、人民解放軍の「三戦」、すなわち世論戦・心理戦・法律戦がよく知られている。防衛研究所の『中国安全保障レポート2023』は、中国共産党の指導の下で、心理・認知領域やグレーゾーンにおける活動が強化されていると分析している。[5]
技術の進化
認知戦を変えた最大の要因は、情報伝達技術の進化である。新聞、ラジオ、テレビの時代には、大衆に対する一方向の宣伝が中心だった。インターネットとSNSの時代になると、個人が発信者となり、拡散者となり、同時に操作対象にもなった。
| 世代 | 主要技術 | 認知戦上の意味 |
|---|---|---|
| 第1世代 | 新聞、ビラ、ポスター、演説 | 大衆への一方向宣伝 |
| 第2世代 | ラジオ、映画、テレビ | 映像・音声による感情動員 |
| 第3世代 | インターネット、ブログ、掲示板 | 低コスト・越境拡散 |
| 第4世代 | SNS、スマートフォン、動画共有 | 個人単位の拡散、炎上、分極化 |
| 第5世代 | ボット、トロール、広告ターゲティング、SOCMINT | 人工的な世論量、マイクロターゲティング |
| 第6世代 | 生成AI、LLM、ディープフェイク、合成音声 | 大量生成、個別最適化、偽装人格、低コスト化 |
| 第7世代 | AIエージェント、行動データ、リアルタイム評価 | キャンペーンの自動運用と高速PDCA |
CSETは、AIが偽情報キャンペーンを自動化・増幅し得ると分析している。同報告書は、RICHDATAという枠組みを提示し、偽情報キャンペーンを、偵察、インフラ構築、コンテンツ生成、拡散、増幅、対象者との関与、行動変容という一連の「キルチェーン」として整理している。[6]
また、MITの研究は、Twitter上で虚偽ニュースが真実のニュースよりも速く、広く、深く拡散する傾向を示した。重要なのは、虚偽情報の拡散はボットだけの問題ではなく、人間自身が新奇性の高い情報を共有しやすいという点である。[7]
ナラティブ形成
認知戦の中心にあるのは、個々の情報ではなく、情報を束ねるナラティブである。ナラティブとは、出来事に因果関係、時間軸、道徳評価、敵味方関係、感情を与える意味づけの構造である。
防衛研究所の論考は、認知領域における戦いを考える上で、ナラティブ、感情、時間性に着目する必要があると指摘している。特に、被害者意識、ノスタルジア、集合的ナルシシズムなどは、政治・安全保障上の認知操作において重要な分析語彙となる。[8]
| 構成要素 | 内容 | 例 |
|---|---|---|
| 主体 | 誰が主人公か | 国民、軍、被害者、抑圧された集団 |
| 敵役 | 誰が悪いのか | 政府、外国、同盟国、エリート、少数派 |
| 被害 | 何を奪われたのか | 安全、尊厳、領土、仕事、伝統、発言権 |
| 因果 | なぜそうなったのか | 裏切り、陰謀、腐敗、外圧、歴史的不正 |
| 感情 | 何を感じさせるか | 怒り、恐怖、屈辱、郷愁、誇り、焦燥 |
| 解決 | 何をすべきと誘導するか | 抗議、投票、沈黙、不信、離反、過激化 |
押さえておくべき主要用語
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| Cognitive Warfare | 認知戦。人間・組織・社会の認知をめぐる競争 |
| Cognitive Superiority | 認知優越。相手より優れた認識・判断・意思決定を確保する状態 |
| Information Operations | 情報作戦。認知効果を得るために情報活動を統合する幕僚機能 |
| PsyOps | 心理戦。対象の態度・心理・行動に影響を与える活動 |
| STRATCOM | 戦略コミュニケーション。政策・戦略目的に沿った発信の統合 |
| Disinformation | 意図的に流される虚偽情報 |
| Misinformation | 意図にかかわらず誤った情報 |
| Malinformation | 真実であっても、害を与える目的で文脈操作・暴露される情報 |
| Narrative | 出来事に意味、因果、感情、時間軸を与える物語構造 |
| Framing | 問題をどの枠組みで提示するか |
| Agenda-setting | 何を重要問題として認識させるか |
| Priming | 特定の判断基準を事前に活性化させること |
| Victimhood | 自集団を被害者として位置づける認知枠組み |
| Nostalgia | 失われた黄金時代への郷愁を利用する手法 |
| Collective Narcissism | 自集団は偉大だが不当に扱われているという感情 |
| Astroturfing | 草の根運動に見せかけた組織的世論形成 |
| Reflexive Control | 相手に自分で選んだと思わせながら、望ましい判断へ誘導する手法 |
| Firehose of Falsehood | 大量・高速・反復・多チャネル型の偽情報拡散モデル |
| Three Warfares | 中国の世論戦・心理戦・法律戦 |
| Lawfare | 法・国際法・規範を戦略的に利用する手法 |
| Prebunking | 操作手法を事前に知らせ、耐性を作ること |
| Debunking | 事後に誤情報を訂正・反証すること |
評価手法と分析ツール
認知戦を評価する際、「偽情報を見つけたか」「投稿を削除したか」だけでは不十分である。作戦評価の観点からは、少なくとも活動量、効果、戦略影響を分けて評価する必要がある。
| 区分 | 問い | 指標例 |
|---|---|---|
| MOP | 活動は実施されたか | 投稿数、媒体数、アカウント数、同時投稿、ボット比率 |
| MOE | 認知・感情・信頼は変化したか | 感情変化、信頼低下、ナラティブ浸透、分極化 |
| MOI | 作戦・政策・社会に影響したか | 意思決定遅延、政策変更、抗議行動、士気低下、同盟不信 |
BrookingsのBreakout Scaleは、影響工作が一つのコミュニティ内に留まるのか、複数プラットフォームや主流メディア、政策議論にまで到達するのかを段階的に評価する枠組みである。[9]
DISARM Frameworkは、偽情報や外国情報操作を、サイバー分野のMITRE ATT&CKに似た形で、TTP、すなわち戦術・技術・手順として整理するためのオープンソース・フレームワークである。[10]
Council of EuropeのInformation Disorder報告は、misinformation、disinformation、malinformationという分類を提示し、情報汚染を「行為者」「メッセージ」「解釈者」の関係で捉える枠組みを示している。[11]
認知戦の功罪
認知戦概念の意義は、敵の宣伝を見破ることにとどまらない。国家、組織、部隊が、自らの意思決定を守り、社会的レジリエンスを高め、危機時の混乱を抑えるための視点を与える点にある。
| 効用 | 内容 |
|---|---|
| 意思決定防護 | 操作された情報環境で、政策決定者や指揮官が誤判断しない |
| 社会的レジリエンス | 偽情報、分断、扇動に対する社会の耐性を高める |
| 同盟信頼の維持 | 敵対的ナラティブによる同盟分断を防ぐ |
| 部隊防護 | 隊員、家族、後方基盤、地域社会を狙う影響工作に備える |
| 危機管理 | 災害、有事、事故時の情報混乱を抑える |
一方で、認知戦概念には危険もある。防御名目で国内世論の統制に傾くこと、偽情報対策が不都合な言論の抑圧に変質すること、自然発生的な不満を敵対工作と誤認すること、敵の影響力を過大評価して社会の不信を増幅することなどである。
したがって、民主国家における認知戦対処は、透明性、説明責任、法令遵守、個人の権利保護を前提としなければならない。防衛省が、偽情報への対応を進める一方で、わが国として世論操作や偽情報拡散を行わないと明記している点は、この意味で極めて重要である。[2]
おわりに
認知戦とは、「情報が嘘か本当か」をめぐる単純な戦いではない。それは、情報を受け取る人間が、何を信じ、何に不安を覚え、誰を敵と見なし、どのように判断するかをめぐる戦いである。
これからの安全保障においては、ミサイル、艦艇、航空機、サイバー能力、衛星通信と同じように、認知環境を理解し、防護し、必要な発信を行う能力が不可欠になる。特に、AIとSNSによって、偽情報やナラティブ操作は高速化・個別化・自動化していく。
しかし、最終的に守るべきものは、単なる情報空間ではない。守るべきものは、国家、組織、部隊、国民が、混乱の中でも冷静に判断し、必要な意思決定を行う能力である。認知戦を考える意味は、まさにそこにある。
脚注・引用資料
- NATO Allied Command Transformation, “Cognitive Warfare”
https://www.act.nato.int/activities/cognitive-warfare/ - 防衛省「認知領域を含む情報戦への対応」
https://www.mod.go.jp/j/approach/defense/infowarfare/index.html - NATO, “AJP-10.1 Allied Joint Doctrine for Information Operations”
https://assets.publishing.service.gov.uk/media/650c03bf52e73c000d9425bb/AJP_10_1_Info_Ops_UK_web.pdf - RAND Corporation, Christopher Paul and Miriam Matthews, “The Russian ‘Firehose of Falsehood’ Propaganda Model”
https://www.rand.org/pubs/perspectives/PE198.html - 防衛研究所『中国安全保障レポート2023』
https://www.nids.mod.go.jp/publication/chinareport/pdf/china_report_EN_web_2023_A01.pdf - CSET, “AI and the Future of Disinformation Campaigns”
https://cset.georgetown.edu/publication/ai-and-the-future-of-disinformation-campaigns/ - Soroush Vosoughi, Deb Roy, Sinan Aral, “The spread of true and false news online,” Science, 2018
https://www.science.org/doi/10.1126/science.aap9559 - 防衛研究所「認知領域における戦い:物語(ナラティブ)、感情、時間性」
https://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary163.pdf - Brookings Institution, Ben Nimmo, “The Breakout Scale: Measuring the impact of influence operations”
https://www.brookings.edu/articles/the-breakout-scale-measuring-the-impact-of-influence-operations/ - DISARM Framework
https://www.debunk.org/disarm-framework - Council of Europe, Claire Wardle and Hossein Derakhshan, “Information Disorder: Toward an interdisciplinary framework for research and policy making”
https://edoc.coe.int/en/media/7495-information-disorder-toward-an-interdisciplinary-framework-for-research-and-policy-making.html